帰る場所は

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いつも窓から見える景色

 

瓦屋根の窓枠から覗く何の変哲もない景色

 

この部屋が自分の部屋になってから飽きることなく見続けた

 

ある時は家が新しく立って

ある時は大きなシュロの木が倒された

 

大きな声で喧嘩をしていたおじいちゃんも今はもう居ない

隣の家から電子ドラムの音が聞こえることもめっきり減ってしまった

 

朝から晩までジェーアールの電車が線路を通る音が聞こえるし

 

あの電車で夜遅くに帰っていた日々を思い出して怖くなる時もある

 

それでもこの窓から見える景色が好きだ

 

特に夕暮れ時に西日が向かいの家をオレンジに染めるのを見る時

 

日が落ちる瞬間オレンジ色からピンク、紫が混じり合ってこの世で一番好きな色になるマジックアワー

 

食卓の準備をする音が聞こえてきたりする

 

もう10何年も見続けていても飽きなくて

この景色を見ながら考えことをしたり

ぼーっと何にも考えない時間を過ごしたり

悲しい時や辛い時はこの窓辺で泣いたりした

 

自分が自分の本当の気持ちになるために

この景色を眺める

いつもこの景色を見れば自分の一番すっぴんのまっさらな状態になれる

 

小学生だった私が覗いていた景色を

26になったわたしも見ている

 

時が過ぎるというのは、環境や周りが変わったと感じるだけで

見ているものとか、好きな時間だったり景色だったり、それを見て感じた気持ちは

案外変わらなかったりする。

 

雨上がりの匂いが好きだなぁ、と思い

雨露に濡れた草の匂いを吸い込む

 

環境や周りが変わっても、自分はずっと変わらない

それはマイナスとも思えるけど

私にとってはむしろ良いことなのだ

 

ずっとこのままでいよう、未来はどうなるか分からないけれど。

 

きっと昔の自分に励まされる日が来るはずだ。

だから何時でもどんな時も自分には素直に、

自分の気持ちにはまっすぐでいたいと思う。

 

 

3わい

 

 

 

最近のこと

 

勉強することは楽しい。

初めて知ることばかり。

もっと話せるようになりたいし、もっと勉強したい。

 

 

 

新年早々いいことがあんまりなくて、ずっと精神的に疲労してしまって…

 


まず体調が優れなかったこと(女の子のせいですね)


それから郵便局のATMが使えないこと。

もう何度も郵便局に行って、でも使えなくて。本当に嫌になった。まだ解決してない…

 

 

そして、父方の祖母が亡くなりまして。

うーん、ちょっと急すぎて追いつかない。


体調は崩していたし、入院もしたりしていつかは。と思っていたけど


急にどうなるって訳じゃないと思ってたから、今は実感がないな。

 

本当に人って老いてからの印象しか残らないのよ。


沢山楽しい思い出があって、


お店に行ったらいつもお節介焼いてくれて、

食べ切れないのに唐揚げとかアイスとかおやつとか山ほど出してくれて

フラダンスも教えてくれた。

鳥が大好きだったよね。

 


あの時は本当によかったのよ。


そこから体調を崩して、足腰が弱くなって、

背中の曲がってしまったおばあちゃんの印象が強くなっていって


過去の楽しかった時の思い出って沢山あるはずなのにそれが出てこない。


私あんまりお葬式とかで、泣けなくて

正直話を聞いた今も全く泣けなくて


多分実感が無いんだと思う。

あと、人はいつか居なくなるって知っててどっか俯瞰して見てるから

 


だから本当自分は冷たい人間だなぁと思う。


でも、仕方がない。それが私だ。


死からは逃れられないし、私もいつそうなるか分からない。明日かもしれないはたまた80年後かもしれない。

 

毎分毎秒終わりに向かって生きていってるから、怖くないと言えば怖くない。


その終わりの直前になって怖くなるんだろうか。


私は薄情な人間だけれど、おばあちゃんやおじいちゃんにもらった優しさや、ちょっとお節介な思いやりも忘れない。


ずっと近くに居て見てくれているって分かっているから怖くないし、私はもっと強くなれるよ。


ありがとうね。おばあちゃん。

向こうでゆっくり休んでね。


おじいちゃんに会ったらよろしくね。

 

 

 

全然暗い話とかではなく、ただの走り書きのようなものなのでお気になさらず………

 

 

 

いつかは想像を超える日が

どこの国で聞くくるり

どのタイミングで聞くくるり

全部がぜんぶ良いのだ。

 


いつだって最新作が最高作品という唯一のバンドだな。

「その線は水平線」を聞いている。

 


最近は毎日の生活リズムが少しずつ出来てきて、家に帰るとダラダラしちゃうから授業終わったら図書館籠るようにしている。

 


海外の学校に通うのって楽しい、初めてそう思った。

ここで勉強している人がみんな同じ言語の勉強をしているのだと思うと、なんだか面白い。

まるでバベルの塔だ。

 

 

 

先日1つ上の先輩から婚約したって報告を受けた。

 


初めて会ったのは高校生の時で、ずっとぼんやりと憧れていた大好きな人。

好きな人が幸せになっていくことを全力で祝福したい。幸せになって欲しいと思う。

 


「幸せになりたい!!!」っていう想いが一時期めちゃくちゃ強くって

何の為にとか、どうやってとかそんなことは一切考えてなくて

ただ無償に幸せになりたいなぁ…ってずっと思っていた。

 


今もそういう思いは何処かしらにあるんだろうけど、でももうそんな意識もしないし

 


今はただ毎日生活している中でちょっとした楽しみがあったりすることの方が幸せだ。

 


考えないようにしてる死や何かの終わりって、突然やってきて急にその影が濃くなる。

 


その思い出は計り知れないものなのに、日常の中で意識することなんて普段全くない。

 


最近そんな出来事があったので、ふと考えてしまった。

 


終わりを見ないようにするのは簡単だけど、いざ直面した時に正しい振る舞いができるだろうか。

 


くるりのHOW TO GOを聞いていた。

 


年齢を重ねて染み入ってくる言葉。

 


いつかは想像を超える日がやってくるのだろう

 


そんな日がもう来ているのかもしれないし、これから来るのかも知れない。

 


いつの時代も輝きを見つけていたいね。

どんな時も

 

 

 

 


今日は戯言でした。

ミラノ風カツレツの夢

やっぱり移動している瞬間とか
何かしら動いている時、心動かされる時のその感動とかそういうのを感じる時だと思った。


先日イタリアのミラノにホームステイに行ってきた。友達の交換留学の時のクラスメイト(マリアちゃん)のお家にお泊まりさせてもらったの。
初め話を聞いたときに、ヨーロッパ ?5日間?しかもイタリア?!って驚いたんだけど
実際行ってしまうとあっという間で、
本当に一生記憶に残る旅になったなぁと思う。


すこし日を遡って書きます。長くなります。


10月5日成田空港からヘルシンキ 経由でミラノのマルペンサ空港まで。
ヘルシンキ までのフライトがとても長くて機内で映画を4本見ました。
ヘルシンキ は外3度、息も白く曇る。空港はムーミンマリメッコの北欧を感じるお店が賑わっていました。
そこからミラノまでまた3時間くらい飛行機に乗ってミラノ に到着。この日は挨拶もそこそこに晩ご飯を食べて手作りのステーキ、フィレ肉美味しかった!リンゴに漬けたラムのお肉も柔らかくて最高でした。あと、ワイン赤、美味しかったなー。ここからワイン沼へとハマっていく……………


次の日はマリアちゃん(友人)とお父さんと一緒にヴェローナへ。おばあちゃんの80歳の誕生日パーティーを祝いに。
ヴェローナは街全体が世界遺産になっている本当に美しい小さな街だった。
ミラノでまた行きたいのはヴェローナかな。どこを撮っても絵になるし、大小色々な教会は中も外も全てが美しかった。
おばあちゃんのパーティーでは今まで食べたことのないお料理ばかりいただき、どれも素晴らしく美味しかった。特にプロシュートは日本とは比べ物にならないくらい美味しかったなぁ。塩気が抜群で、生の葡萄と合わせて食べるのが至高だった。
それから家族の時間とか絆をとても大切にしているって分かって、すごく羨ましいというか美しいなぁと感じた。


翌日はマリアちゃんに運転してもらってコモ湖マッジョーレ湖へ。
アルプスからの水は透き通る青さで、天気も素晴らしく全てが夢のような体験だった。


遠くの山並みに見えるモンテローザ、美しい湖畔沿いのヴィラやレストランのテラス席の賑わいなんか絶対に忘れないだろうな。泣きそうなくらい美しい瞬間が目に見えてあった。
お昼に食べたリゾットは今まで食べた中でも格別の味わいのリゾットだった。マッシュルームとバターとチーズ、家でも作ってみたい。


観光最後の日、ミラノ中心部へ。念願のドゥオーモを見学。
圧巻だったなぁ。400年もかけて途方もない労力とお金を費やして造られた美しい教会。
真っ白の大理石に数え切れないほどのファザードや彫刻が目移りして、何処を見れば良いのか分からないほどだった。
中に入ると神殿のような大きな柱柱柱…、高い天井と美しいステンドグラス。
あんなに沢山のステンドグラスを一度に生で見たのは初めてで圧巻だった。
神様っているんだろうな、それは何千年も変わらない真実で、それを時間を跨いで私たちがおんなじ様に感じることができる。
美しいガッレリアもアペリティーボで飲んだオレンジ色のカクテルも美味しくて夢みたいだったけれど、何よりドゥオーモの存在そのものが私の脳裏に強く焼き付いた。


最終日は朝から早くて、また会えると思っていたから全然寂しくはならなかったけれど
本当に素晴らしい家族と時間を過ごせて幸せだったと、噛み締めていた。
帰りのフライトは行きの何倍も早く感じて、あっという間に成田に着いた。機中で見たロケットマンタロン・エガートン素晴らしかった、大好きになった。

 


ずっと映画"Call me by your name"の世界を夢見ていた。だけどあれはやっぱり映画の中の一夏の幻で現実には無いことだ。
ただ、あの教会の後ろからエリオやオリヴァーが二人並んで歩いてくるんじゃないか、というようなロマンチックな幻想が街には満ちていたように思った。
そんな2人の幸せな時間をとっても愛おしく思った。

 

世界一美味しいチーズもワインも顔の大きさくらいあるミラノカツレツもお腹がはちきれそうになったマルゲリータも薄い味のないビール
ペローニも
全部ぜんぶ忘れられない、大事な私の宝物になった。
本当に心から幸せと感じた旅だった。


また絶対にミラノに来たい。ヴェローナの教会とロミオとジュリエットの家にも行こう。


幸せの価値を決めるのは自分だし、過去の幸せの責任をとるのも自分だと2人から告げられている気がした。

 

3わい

 

8月31日

なんとなしに落ち着いてきたかなぁと思って

毎日のリズムが大体できてきた。


まぁ、低血圧で一日中寝てることもあるんだけど……でも、そんなこと出来るのも今のうちだし、凄くリラックスしていていいなと思う。


仕事してる時も本は読んでいたけれど、ここ最近は毎日寝る前に1時間は本を読んでいる。


時間を気にせずに本を読めるのは幸せ、だけど睡眠も大事なので程々にして眠りに落ちる。


前まで携帯を触ってからでないと眠れなかった。休みの前の日とかは太陽が昇るまで携帯を見ていたし、そんなことしても虚しさが募るだけだった。

 


30歳まではノリと勢いだ。
なんだかそんなことを思ってしまった。
そう思えばなんだかワクワクしてきた。色んなことをやってみたい。


手に余るほどの本を片っ端から読んでみたいし、ラオスやタイ、ミャンマーブータンなどの仏教国に行ってその国の仏教観に触れてみたい。


もちろん中国語も継続して勉強したいし台灣にも住みたい。

 

 
台湾といえば此間京都のライブハウスに台湾のDSPSというバンドが来ていたので、ライブを見てきた。


今年の5月にも台湾のライブハウスで見てて、凄く気に入ってしまったので行くしかないと思った。


三曲目のMCのタイミングで参加できたのだけど、ボーカルのAimが喋っている時から既に空気は台湾の空気だった。


あの時The Wallという、学生ばかりのライブハウスで見ていた景色をすぐに思い出した。


メンバーは1人変わってしまったみたいで、ギターの子は違っていたけれどその子も凄く人が良さそうだった。


アンコールもめちゃくちゃ良かった。YeYeと一緒に歌っていた曲がすっごく素敵で染み渡った。


終演後落ち着いてからAimに話しかけたら、普通に友達みたいに台湾で会ったよね?って言ってくれて驚いた。覚えてるのー?って。


それから日本語凄く上手いね、って話をしてたら1、2年は話せなかったけれど、日本人の友達ができてよく話すようにしてから上達したと言っていて
Aimが「私が話役になるから友達になろう」と言ってくれたのがただ軽いノリで言ったのではなくて、本心で言ってくれたのだと分かる言葉で凄く胸を打たれてしまったし、嬉しかった。


彼女は凄くスラスラと話すし、ノリも良くて明るい子なので友達もきっとたくさんいるはずだ。だけれど本当にこの子が愛される理由が分かったような気がする。嘘がない。


帰るときにベースの男の子がタバコを吸っていたので少し英語で話しかけてみた。


The WAIlでライブ観たよと言ったら凄く驚いていた。それから谢谢って。


英語もお互い拙いけれど、そんな拙い言語でも気持ちを伝え合えた事が嬉しかった。
私はやっぱりこういう体験というか、違う国の人とも気持ちを通わせられるその瞬間が大好きだなぁと思う。


それから再见という言葉が好きだ。
「見る」は古語で「出会う」という意味がある。
だから再见は直訳すると「再び出会う」という意味になる。
さようなら、より、またね、に近いニュアンスなのかなぁと思う。


別れ際にまた会おうね、と言い合えるくらいの関係って凄くすてき。初対面の人にもそう言えるっていいな、羨ましいなと思う。


こういうちょっとしたニュアンスを分かってくれる人ってあんまりいない。


最近私の身の回りの人たちって凄く稀有な人が集まっているんだな、と感じた。
私の友達は、言葉の感覚とか言葉の裏を読み取ってくれる人ばかりで凄く心地いい。
自分の親よりもよっぽど言葉をよく汲み取ってくれると思う。そんな人に囲まれていることは本当に幸せだ。

 


DSPSを次に見れるのは台湾かな?
あ、10月台湾でライブがあるって言ってたしそれに合わせて行こうかな。


距離でいうと沖縄と同じくらいだし、ポンっと近所に遊びに行く感覚で台湾に遊びに行きたい。


何処へ行くにもふらっと、気構えずに飛び出せたらもっと世界は近く、掌に収まるくらいになるはずだ。


仮住まいの場所を飛び出して、色んな景色を見に行こう。

 

 

 


追記:今日は阪急に書類を持って行ってから、元社員さんのワインショップに行って
試飲をしたり取り留めもない話をしたり、、試飲をしたり、、😂


楽しかったし、こういう出会いがあった職場にやっぱり感謝だなと思う。
購入した紅白ワイン、お家で飲むのが楽しみだなー花びらみたいなチーズも、楽しみ。

8月23日

うーん

夏の終わりを感じている。
早かったなぁ…。


日差しだけは一丁前に夏だったな。
体感としては特に夏らしいこともしてないし、あ、でも家の庭からすこし花火が見えたりしたっけ。


行く夏を惜しむのはこの先何回もあることなのだろうか。


日常が慌ただしくて、落ち着いて色々なことを考えるのを止めているからかぼーっと知らないうちに夏が終わろうとしている。


田舎の匂いが好きだ。

 

 

 


上海に5日間遊びに行ってきた。憧れは林京子が書いた「上海」。
本が書かれた時代とはだいぶ時が経ってしまって、随分と近代化していたようにも思うけど


何年たっても国民の性質とかシステムの発展が後回しになっているところとか、そう変わってないところ多いんじゃないかな。


でも電車に乗っている人の中で貧しそうな人を見かけることはほぼ無かった。


上海の下町はそれなりにいろんな生活があるんだろうと思ったけれど
都市はやっぱり豊かなんだろう。


ディズニーランドも莫大な資本がかけられていて、夢を見せてくれる一方で夢を建前に作られた架空の世界だった。


お金をかければ幾らでも楽しめる。
でも、それだけではない楽しみを、どうにかこうにか見つけたい。

 

 


すこし暗い話になるけど


この間、庭に遊びにきている猫のうちの一匹の猫とその子どもが死んだ。


野良猫だからあんまり干渉はしないようにしていて
でも、たまに餌をやったりしていたからわたしにも罪はあるのか。


あぁ、命ってなんて儚いものなんだろうと思った。


子猫は何日生きられただろうか、親猫は日に日に痩せこけていってたなぁ。


哀しくて、だけれどこういう時わたしは涙が出ないので
やっぱり死ぬということをまだ実感を持って知らないのだろう。


父方のおじいちゃんが死んだ時も涙が出なかったなぁ。だってそこにはもういないのだもの。
亡骸にないてすがったってもう二度と会えないんだよなぁ。


時間が経つにつれて、死ぬということは会いたくても、もう二度と会う事ができないことだと気がつく。


命への責任ってとても重い。私はそのことに本当の意味で、いつまで経っても気がつく事ができない。

 

 


雨が降っている。夕立とかではないのだろうか。
遠い街のことを考えて、恋い焦がれている。


きっと恋愛なんて私には向いてないし、一人で生きていくほどの勇気もない。
都合良く好きなように人に頼ってしまうんだろう。雨の日はすこしセンチになるな。
こういう時くるりとか聞けばいいのかな。


私は考えなくてはいけないことを考えることを後回しにしている気がするよ。

 

 


今日はおっさんずラブの舞台挨拶ライビュと映画を観てきました。
普通にエンドロールで泣きました…………うぁあ切ないなぁ、、人を好きになるということはずっと切ない気持ちを持ち併せてなくてはいけないのだろうか。あぁ…2人がこれからも幸せに、一緒にいられますように。

 


3わい

飛行機雲と夏の音

 

あぁ、雨が上がったんだなと思う。いつの間にか梅雨が来て、知らないうちに去って行ってしまった。


この間も書いたかもしれないけれど、最近雨が好きになった。
振る前の空模様も、降った後の湿った熱を帯びた空気もすき。胸いっぱいに吸い込んでその湿気を楽しんでいる。

 


コンクリートが雨に濡れてきらきらと光っている。

 

 


こないだ買った白ワインをまだ開けていなかったなぁ。
気管支炎になってしまって衰弱していたので、お酒を控えていた。


しっかりと冷えた白ワインってとてもとても上質な葡萄の雫を頂戴しているような、すっごくスペシャルな飲み物のように思える。

 

 


ずっと暑いのが嫌いで、夏が苦手だった。
でもここ数年は夏が特別になった。半袖や軽装で動ける今の季節がとても心地よい。


暑すぎてやられてしまう夏も、だんだん短くなってしまう。丁度いい良い季節ってほんの少ししかなくて、ちょっと寂しい。

 

 


この時期になると野外音楽堂から見えたあの飛行機、青すぎる透けた宇宙、騒がしい蝉の声も全てが懐かしい。


昨年のあっつい暑い日に食べたゆすらごのかき氷も美味しかったなぁ〜夏休みに田舎の家に遊びに行ったみたいな、そんな気分だった。


今日は電車の車窓から入道雲が見えた。
マンガに出てきそうなくらいの美しい入道雲
電車が遅延していて落ち込んだ気持ちも少しだけ和らいだ。


夏が来るのをみんな待ち望んでたんだなぁ。


期待を背負って毎年夏がやってくるのがなんだか誇らしくて好きだ。

 


✂︎キリトリ✂︎


行ったり来たりしながら文章を書いていて、気がつけば8月になってしまっていた。


夏休みの宿題、そろそろやらないとね〜なんて思い始める子供。

 

 


先日会社を退職して、昨日は挨拶に伺った。


私はこういうさようならを蔑ろにしてきたから、本当はとっても憂鬱だった。


全部が無事に終わった時、本当にほぅっと出来るのだろうか。


いろんな人に悲しまれて、私は幸せ者だと思った。
最後まで分かり合えない人もいたけど、大半の人が惜しんでくれた。


あぁ人に恵まれているなぁと思う、わたしは。

 


いろんなことに✖︎をつけて無かったかのように過ごしてきたけれど、
そこに毎日はちゃんとあったんだ。たしかに。
毎日を刻んできたんだね、2年半。


無駄じゃなかったかなって今は思う。


夢もできたし。いつか叶えたい。


それまでは沢山のことを学んで蓄えたいな。

 

 


退職してから時間を気にしなくてよくなった。
自由だからこそ制限は自分で作らなくちゃいけない。


このまま無駄に時を過ごしてはいけないぞ、と自分を律する強い心を持たなくちゃ。

 

 


✂︎キリトリ✂︎

 


この間、小山田壮平と石崎ひゅーいとたかはしほのかと谷口貴洋のアコースティックライブに行ってきた。


やっぱりアコギの音と人の声が好き。心の底から好きーと、思う。


カフェとか小さな空間で見るライブも好きなんだ。


それからやっぱり生で、人がそこに居て、音が鳴っているというのが好きで心がうわぁーと掻き立てられる。
涙も出るし、笑えちゃうし、周りが見えなくなっちゃう。

 


そんなライブにこれからも出会いたい。
いつか、そんな場所を作りたい。

 

 

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こないだ父からお花をもらった。

わたしの好きな色合い。あと、霞草。

 

向日葵も綺麗だった。

花をもらえること程幸せなことは無いかもしれない。

生きているうちに何回こんなスペシャルな体験ができるだろう。

 

3わい