ビートきざむ

 

 

おいおいこのやろう。

 

近頃、服が好きすぎて

 

たまらない。

 

 

というよりも

 

着飾ることが好き。

 

 

 

うーん、着飾って

 

自分を良く見せるよりも

 

身につけているものの価値を

 

より良く見せることが

 

上品なお洒落なのかもしれませんが。

 

 

正しくは、

 

お洒落らしいのです。

 

 

が、

私は見た目に重きを置いているようです。

 

 

今はこれでいいのです。

私は満足しているのです。

服を買って貯金におどおどするなら

今ある服をアレンジすれば、

いいんじゃあないか。

 

 

工夫ひとつで服にリバーシブル的な

新たな個性を出してあげられることに

改めて気付きました。

 

 

なんとも幸せな気持ちになります。

 

 

 

“いや、いい歌(本.服.店などなど)

                               見つけたやん”

 

 

 

お化粧とかも色んなホームページを

参考にして取り入れてみて

ひとが知らないような

気付いてないような

ひとにとってはどうでもいいような

ことを発見して

幸せに浸るのが、

またひとつプラスの

幸せというか、

お得な幸せといいますか。

 

 

まあ、

完璧人間じゃありませんし

まあ、

不完全保守型人間ですけど

うん、

一喜一憂を繰り返して生きてますわ。

 

 

本当のパリを知らないけれどもさ、

 

今はさ、

空想妄想想像パリジェンヌの

気取らないようで気取っていて

ちょっとミステリアスというか

“なに、このマカロンは美味しいの?”

みたいな、何処からともなく

沸いてくる魅力を秘めた存在に

憧れてるのです。

 

 

 

当分は自分を着飾りたいと思います。

 

 

着飾らないと

やってけないよ。

私はそれくらいしか

取り柄がないんだわ。

それくらいしか

自信が沸くような

術を持ってないんだよ。

 

 

いやでもさ、

 

ファッションって

 

底なし沼。

 

でも、自分に見合う雰囲気というか

 

箱というか枠?を見つけたら

 

ファン   シュン  ズキュン  ドキュン

 

ってうきうきして

 

どろどろの沼が

 

一気にエメラルドグリーン的な色の

 

なんとも綺麗な池に変わるような

 

そんなステキなものですよ。

 

 

 

そうそう、

いつからKFCのXmasソングは

流れるのかなあと

少し前に考えていたら

 

昨日の夜から

感覚的には今日のよる。

流れ出しました。

 

今年もクリスマスの季節に突入。

去年と比べると

特に感じるものはない。

 

成長だとかは

微塵も感じられないけれど

季節も周りも色んなことが

着実に変化してるんでしょう。

 

気付かないうちに

夏が終わって冬が来ていたように。

 

おそらく少なからず

私も変化していて、

嫌な部分を

すぅーっと

左から右に受け流せるように

なったのも

小さいけれど今年の

成長としておこう。

 

 

2018.11.23は

従兄弟の結婚式でした。

 

家族っていいな。

 

新しい家族の誕生に

立ち会えて嬉しかった。

今までも私の知らないところで

別の家族が生まれていたんだなあ

 

、と思いました。

 

 

帰り際に酔っぱらいと化した父が

結婚とは関係のない話をしました。

 

 

“夢のない人間を理解できない”

 

 

と。

 

 

私はきっと父が思うような

世界や日本を動かす夢は持っていません。

 

 

だから私も、父からは理解されないような

人間の部類入っていると思います。

 

 

私にとって   その時の

父の意見は聞き入れ難い話でした。

 

夢のない人間がいるからこそ

夢のある人間が引き立つと思うし、

夢のない人間がいるからこそ

夢のある人間が生まれると思う。

 

 

象の夢も蟻の夢も私な夢も

大きさで言ったら同じなのよ。

 

泉の水が飲みたいとか

地中の巣を拡張したいとか

古民家風の家に住みたいとか。

 

 

何かにつけて人それぞれ、で話をまとめると

自己中心的な思考が生まれるのだと

思いますけれども…

 

 

程よい人それぞれって

必要ですよ。

 

 

過剰な気遣いはやめにして

地球にも人間にも

優しくなろうじゃないか。

順番を抜かされたって

きっと乗りたかった電車には乗り遅れるさ。

見たかった番組は見逃すさ。

 

 

無駄なイライラを捨てようよ。

難しいけどね。

 

 

 

 

どすこいわい。

 

 

 

 

いますきなもの

 

モデルさんのkanocoが再熱している。

 

前から好きなのだけれど

いやーかわいい。

すきやわあー。

 

アンリアレイジのデザイナーさんと

結婚したときは うそっと思ったけど

 

kanocoさん自身が

センスの塊だと思ってるので

なるほどっと納得。

 

kanocoさんを見るたびに

あー前髪切りたいなと思うけど

何となくワンレンが気に入っていたりして

なかなか切るに至らないんだなあ。

 

 

またロングヘアーにして

パーマ当てたときが切り時かしら。

 

 

 

ほかにはまってるものと言えば

緩めの音楽。

 

 

ラップ調というのか。。。

 

 

なんというのかわかりません。

 

 

台所で聴いていて

落ち着く音楽が好きなんだよう。

たまらないよう。

 

 

でも歌ってるひとについては

全くの無知です。

 

 

その時々で

聴きたいものがごろごろかわるので

音楽すきとは言っちゃいけない

人間だと思ってます。

 

 

 

色々恥ずかしい人生ですけど

 

 

ふと、

 

 

あーすきなものいっぱいあるなあー

 

 

と気づいた瞬間は

ちょっとだけ気持ちが良いですわあ。

 

 

 

スーパー行って珍しい食材に出会った時とか

筋トレを頑張って筋肉痛になった時とか

安いのにかわいい服に会えた時とか

台所で朝から料理してる時とか

珈琲の粉が膨らむ瞬間とか。

 

 

 

 

うーん、われながら一喜一憂がすごい。

 

 

どすこいわい。

HOW TO GO

最近疲れているのか
優しい言葉に涙が出るほど癒される
優しいとは複雑で奥深い
虚しさや悲しさ苦しみ、歳を重ねるにつれてわかることが少しずつ増えてくる。

 

吉本ばななが好きだといつも言っているけれど
なんでこうもあの人の言葉に救われるんだろうといつも思う。

 

最新刊のエッセイを読みながら何度も泣きそうになってしまった。日本は矛盾した世の中だから上手く生きられない、普通の生活が一番難しくなってしまった。

 

だけれど複雑にしているのは私達なんだね。
本当はお昼の日の光の暖かさとか鴨川の水面の煌めきとかそういったもので十分幸せ
幸せを複雑にし過ぎてしまった

 

最近は電車の中でずっとくるりを聴いている。
くるりはアルバムごとに色が全然違うから、その時の気分で聴きたいアルバムを選ぶ

 

最近はずっとアンテナとNIKKI
THE PIERも大好きなアルバムだ
もちろんベストアルバムも大好きだ

 

高校生の時毎日が辛かった時
母親と寒い日に京都植物園に行って
くるりの岸田さんの野外の弾き語りライブを聴いた。

 

バラ園のバラが素晴らしく咲いていた。
その時に聞いた岸田さんのばらの花がとってもとっても素晴らしくて優しくてあったかくて私はとても安心したのを覚えている。

そしてその場にいた沢山の人とあのライブを共有できたことが、今でも奇跡みたいに思える。

 

私はあの日、岸田さんのばらの花を聞けたから
その後も高校生として卒業まで過ごせたのだと今思う。

 

素晴らしい経験は、時間が経っても色褪せず
たまに思い出してまた元気付けてくれる。


昨日は夢の中に小山田壮平が出てきた。
どんなにあなたの作る音楽が好きかを熱弁していた。
私にとって小山田壮平岸田繁は二大ロックスターだ。
彼らの作る音楽に癒されて生かされている。

 

音楽だけでなく小説や映画に生かされている。
この間はパターソンという素晴らしい映画を観て、一生大事にしたい映画に出会えたと嬉しく思えた。

そういう楽しみとか感動をこれからも重ねて行きたい。

 

吉本ばななが言ってたのは死ぬまでにどれだけ素晴らしい思い出をつくれるか、それが人生になるというようなことを言っていた。

私もそういう生き方をしていきたい。
だから自分の人生に素晴らしい経験や景色を重ねていきたい。

 

 

 

 

いつかは想像を超える日が待っているのだろう

 

3わい

yot need chopsticks??


東野圭吾


人魚の眠る部屋


を読んだのよ。

 

 

ざっくりいうと臓器提供の話なんだけども。

 

前に私は免許証の裏の

意思表示カードをみたのだけど

サインはしなかった。

 


というか、迷った挙句

怖いというか現実味がなくて

サインしたら自分の死を認めるようで

出来なかったのよ。

 

 

いつかは

死ぬのだけども。

 

 

うーん、けれど読んだあとも

あまり意識は変わらなかったな。

 

 


自分がばらばらに

なると思うと怖い気もするしな。

 

 

 

日本は海外に比べて移植が遅れてるらしい。

それは脳死=回復不能=死を選択するのが

遺族側にあるかららしい。

 

 

 

もし私や親族が移植を望んでる立場で

近くの人間が提供できる立場にいたら

どう思うんだろう。

 

 

その逆の場合どう思うんだろう。

 

 

飢餓状態の動物みたいな

気持ちになるんかなあ。

 

 

誰かのために

提供しようと思えるんかなあ。

 

 


最近、相手や自分に期待しないようにしてて

他人すぎる存在に無関心なんだよう。

 

 

 

だから、もし今 親族や私が

移植を望む立場にいても

 

 

あ、そうなんだ (親族 もしくは 私は)

助からないのね。

 

 

ぐらいな感情しか沸かないんだろうなと思う。

 

 


私自身は、

 


延命は望まないだろうな。

それなら死ぬまでに

お金をいっぱい使いたいな。

楽しいことしたいな。

 


そう思うってことは

臓器提供していいと思ってるってことなのか。

 


以上。

読書感想文でした。

 

 

それから、

 

 

わたくし、本当に適当人間だなと

思うんだなあ。

 

 

適当。

うわべ。

なんとなく。

めんどくさがり。

 

 

の塊ですわ。

 

 


なんでみんなそんなに必死になれるんかな。

 

 

 

私が家を出れるような

状況じゃないから自分のせいなんだけど

家から出よう、いつかいつか。

 

 

インターネットの記事を読んだけど、

家族といえど価値感が違う他人なんだから

合わないこともあって当然。

そう考えていらいらしないでおきたい。

 

3年間は耐える

たぶん何かしら、

良かったと思えるように

なるんだろうね

よく言うけど

良かったと思えるように

しないといけないんだろうね。

 

 

 

どすこいわい。

やっかいものだわしは

 

フリーター歴3ヶ月かな。

それぐらいになりました。

 

 

ポッケの中で手を繋いだり

コートを着て首元にマフラーを巻いて

女の子の可愛さを出せるような季節が

もう時期、やって来ます。

 

今年もひとり身。

流石に焦りが。

 

しかしながら、

いまの状況だと誰からも好かれないし

自信もなくて積極的にはなれないから

しばらくはこのままなんだろうな。

と思ってます。

 

 

だけどやっぱり、

友達やら家族以外の居場所がほしいなって

思うんですよね。愛されたいなと。

 

 

家族っていう存在から避けてて

無駄に無口になったり

素っ気ない態度をとったりしてます、いま。

 

そうしたら

自立できるんじゃないかとか

誰かからの愛を受けれるんじゃないかとか

そう思ってしまって。

 

でもそれって自暴自棄、自己嫌悪の

繰り返しになってて

ひとりで負のループに入ってるのよね。

 

愛されたいなら

誰かを愛さないとな

ましてや家族を愛さないなら…とか

思うけど、

 

家族って言っても

全く同じ考えにはならない。

もう一緒に暮らすのはしんどいな。

 

しんどいな。しんどいな。

たぶん一人暮らししてて帰ってきたから

余計に私はしんどいし

ふたりは帰ってきたっていう

何かしらの刺激はあるんだと思う。

 

ナルシスト的な考えなのかもしれないけど。

 

少し離れたい。

下から聞こえる声にビクビクしたくない。

ほっといてくれよーぅ。

 

 

…。

 

 

話は変わりますが

東京に遊びに行きたいなあー。

 

 

新宿ピカデリーで観る映画がすきだったなあ。

あの独特な闇がすきなんだなあ。

たぶん根暗なんで、それが合うんですよ。

 

根暗最高。

 

フランスも東京もドイツも台湾も

新宿ピカデリーにもいきたい。

 

センス良い人風に生きてる人間ですわ。

何も知らないのに

POPEYに憧れてる人間ですわ。

 

 

 

おっけーバブリーけつかっちん

 

そろそろ根暗を直すか

とことこん根暗を貫くか。

自分がまだまだわかってないよ。

根暗適当八方美人非人情的クソコラ人間だわ。

 

 

 

最果タヒのあのフレーズがずっと

忘れられない間は

恋愛はできないんだろうなあ

 

 

誰かに恋する的なフレーズの歌を聴いて

きゅんきゅんするとアウトな年齢に

近づいてきている、

というよりもうアウトなのか。

 

 

 

どすこいわい。

 

ダンス

夕方の5時くらいから次の日の朝10時まで寝てたりして


マジかよーってなってたら案の定朝から調子が悪くなってしまった。

 

昨日USJ行く約束してたな友達と
そもそもこの歳でこの日常でテーマパークを楽しむ余裕が無い。


ドタキャンして悪かったとは思うけど無理なものは無理で通せないのよ、すまんね、常識のない人で。

 

少しでも時間があれば寝てたい。
小説読んでないのがあれば読みたいし、今は何にもないけど


そもそも家からあんまり出たくない

あ、でもお買い物とかは行きたいな商品券が余ってたし伊勢丹
カバンも靴も古くなってきたから新しいのが欲しいな


擦り切れたバレエシューズ履くのもうダサいし捨てよう

 

 

大丈夫な日の私だけを見ててよ

ってほんとにそうだし

そういう日しか本当は外に出たくない。

 


そんな朝だから会社にも行きたくなくって
眠りすぎだから頭も痛いし
お財布開けてみたら2000円しか入ってなくて我ながら情けないな。

 

夢の中で訳のわからないパン屋で働いてたし、
あ、これうちの職場だわって理解したけどパンそもそも売ってないし

 

エッセイストが男前で才能のある写真家と結婚していた


インスタで見ただけなのに結局才能と顔かよって思ってしまったからすり減ってるんだろう。

 


ちゃんと化粧して、こないだ買ったベージュの可愛いシャツをおろして


気に入って買った服ってテンションやっぱり上がるな、資本主義の恩恵を受けている

 

とりあえずメンタルを平常にしないとって大森靖子聞いて一生テンション無双モードで頑張るよ!ってほぼ無理なんだけどそれでもやっぱり頑張らないといけない時がある。

 

ぐずぐずになって布団かぶって起きられない自分最強に女子だって思うのに
そういうのも認めてくれない社会はやっぱり冷たくてかわいくないよなーあー


外はめっちゃ天気良いしこのまま会社サボってピクニックしようかな一人


全肯定してくれる何かがなければ手放してしまうような人生でそれが何かってのを今探してるんですけど今はどこを探しても見つからないんです〜


自分だけがそんなんじゃないって分かってるけどそれでもやっぱり人生って無理ゲーで


今を楽しめる人や摩耗しない人が残っていくんだと私は思う。

 

まぁみんな摩耗されながら生きてるんだろうけど。

 

 

4日前の日記でした。

 

 

 

andymoriの「weapons of massdistraction」を聴いている。
この曲の美しさなんて誰もわからなくていいと思っている

 

何か絶対的に信じられるキレイな人形が欲しいっていうその願望の美しさよ

 

世界はそれだけでは埋め尽くせなくて
とっても複雑にできているんだろうけど

 

人々のほんのちょっとの幸せな願望が積み重なったら
もっと世界は優しくなると思うんだよな

 


今日も電車に運ばれて家路につきます。

 

3わい

 

 

 

もしもし

最近よく日記を書いている。
良いことも悪いこともなんでも、書いてしまえば良い。
生きているといい時も悪い時もあって、それを良いとこだけ見たり残しておくことはできなくて、やっぱりダメな時もある。

 

ダメな時、それをどう乗り越えて来たか
その足跡を残しておくのはとても大事なことかもしれない。

 

話は変わって、こないだ1日に弾丸日帰り東京旅に行って来ました。
一年に一回くらいは行きたくなる東京。
特に下北沢が何故だかずっと大好き。それは小説の影響でもあるんだけど。
B&Bで本を買ったり、つきまさでお茶を飲んだり、こはぜ珈琲店にも行ってみたかったんだよなぁ〜

 

でも旅の目的が弾き語りのライブで、残念ながら開演まで時間がそんなになかったのです。

結局下北沢駅から徒歩3分くらいのティッチャイでご飯を食べて、すぐ電車で上野に向かった。

ティッチャイはよしもとばななの小説に出てくる小さなタイ料理屋さん。
料理が出て来るのも遅いし、タイ人のウェイトレスと厨房の店主がペチャクチャ喋ってるし
だけれど不思議に楽しい気分になる。小説の世界とおんなじ町の住人になったようで。

 

山手線で上野駅へ。
上野恩賜公園が思っていた以上に広くて、なかなか水上ステージに辿り着けない。

不忍池の周りをぐるーっと回って
あった!水上ステージ

とりあえず前から三列目くらいのベンチに座る。

 

そう、UBC jamというこのライブは早稲田大学の学生団体が主催してるイベントで
お目当ては小山田壮平、彼は早稲田の出身なのであーる。

 

昼の2時に始まって出番が6時…
それまでぼーっと他の出演者の歌を聴く。

それがすごい良かったんだなぁ〜全然知らない人の知らない曲もそれなりに全部良かったんだなぁ。
場所が変わるだけでこんなにも聞こえ方が変わるもんなのね。

 

休憩中に空気を変えたくて、不忍池をぼーっと上から眺めてた。
こういう時にタバコが吸えたらいいなぁ、と思う。まぁ吸えないんだけど。

 

たまたまおんなじ様にしてた女の子がいたので声をかけてみる。宮城から上京してきた女の子。
年下だったけど、なんかいつかの自分を見ている様だった。小山田の音楽を聴いてきた人はみんなどこか似てるような気が勝手にしてる。

あの時は世界の全てだと思っていたものが、意外とそうではなかったこと
今気がついてほんの少し寂しくなるよ。

 

ライブが始まるまでは雨も持ちこたえていたけれど
壮平くんが出てきた瞬間豪雨…。
アコギの音なんて本当に負けてしまいそうなくらいの豪雨。
「雨と僕たちの勝負ですから。」みたいなこと言ってたけどほんとその通りだった。

リハからSTAND BY MEとかIN MY LIFEのカバーとか最高で舞い上がった。
途中から雨は止んだものの
前列の酔っ払いがやたら絡みたがるし
野次というか声もいたるとこから飛んでくるし独特の雰囲だったな

 

ただ本番のステージがもう本当にほんとに素晴らしくて

特に弾き語りの1984は、初めてこの曲を聴いた時のような感動を覚えた。

一対一で語りかけてくる彼のパワーはなんなんだろう、本当に不思議だ。

 

結局ライブが終わってから女の子には会えなかったし、すぐに上野の街を後にして
新幹線で京都まで帰りましたとさ。

 


あっという間の夢の様な時間が今も実態なくふわふわと頭の中に浮かんでいる。

良い夏の思い出になった。

 

…あれから少し日が経ってもやはり私は小さなことに苛立ちをおぼえてしまったり、万人に優しさを向けられない。

生きて行くというのはそれだけで本当に大変なものだ、私にはハードルが高過ぎる。

 

相変わらず天災が多くて心を痛めている。
かと思えばインスタグラムなんかを覗くと全く別の国の出来事の様に過ごす日常が切り取られている
テレビをつけると都合のいいような報道とバラエティばかりが映し出されている

私は今どこに住んでいて
私は今どんなに国に住んでいるのか分からなくなる。

 

もう本当にぎりぎりのところに立っている国が
一歩足を滑らせたら一気に急降下してしまう様で
私はこの国で、このさき生きて行く自信がない。

 


結局最後は暗い話になる。笑
根が暗いからしょうがない。ただ今21時過ぎ。
電車に揺られて元の家に帰る。


3わい