遠回り

日々の雑記むだに長くなっちゃった

 

 

なんとか生きてるのは自分に家があって周りの環境が良いところに住んでるからなのかな

 

自分はつくづく遠回りして生きているなぁと思う。

 

 

昨日はボス・ブリューゲルの展覧会を見る為に中之島

 

平日に母親と2人で出掛けるのが楽しい。


前日つい夜更かししてしまって
肝心の展示はあんまり集中できず…

 

でも事前に知っていたボスやブリューゲルの原画を目にして

 

500年以上も前の人たちが見ていた景色と風景が
あんまり今と変わりないんじゃないかと思って


すこし身近に感じられた。

 

そしてバベルの塔はやっぱり途方もなく緻密に描かれていて

その中の1人1人が動いているような息吹があった。

 


旧約聖書によると、世界中の人々はかつて同じ言語で話をしていたらしい

 

それをよく思わなかった神様が違う言葉を与えて人々がバベルの塔の建築を止めるようにしたんだって。

 

言葉が通じなければ人々は同じ目標に辿り着けない。
そういう目論見があったらしい。

 

 

なんだか私たち日本人は同じ言語を話しているのに分かり合えないし、

人の言葉が理解できず
理解されず
うまく機能しなかったりする。

 

それって結局バベルの崩壊と一緒なんじゃないかと思えてきた。

 

 

話は変わって最近、植本一子さんのエッセイに打ちのめされた。

前から気になっていてようやく読む決心がついて


母親になるって家族になるってなんだろう、奇跡みたいなこと

 

毎日は奇跡の積み重ねなんだろう

 

その渦中にいる時は気がつかないけれど。

 


最近人と比べたり羨んだりするのが馬鹿馬鹿しいと分かってきて

 

なんだか少し精神は自由になったのかも。

 

 

エッセイの中でライブの話がたくさん出てきて

ああいう日々が奇跡だったなぁと、好きな時に好きな場所にいれること

 

そして好きな人たちが周りにいたこと。

 

 

涙が出るくらい貴い時間で、あぁ光の粒ってこれなのか
幸せってこういうことかって思っていたよ。


ほっといても日々が続くから今は目の前の毎日を大切にしたい。

 

理想なんか掲げなくても毎日が宝物なのだ。

 

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今日の夕方、すごい色だなぁ

 

 3わい