これは罰なんだと思う

 

何も考えずにぬくぬく過ごしてきて
楽しいことだけを目の前にぶら下げて
それで良かったんだろうけれど
それをよく思わなかった者からの罰なんだろう


人生は苦だって誰が決めたんだ
忍耐とか苦しみの対価が喜びであるとか


そんなものバランスでも何でもないような気がするよ。


人と人が集まればどうしても社会がそこに生まれてしまうし


そこから逃げられない。


自分の中だけに閉じこもっていては生きていけないようにできている。
資本主義社会だからね。


親もいつまでも居るわけじゃないからな。
私だっていつまで経っても家に居るわけではない。


どこでどう切りはなせるか。決断は大きくてもどうにかなると思っている。
それよりも同じ場所にいる方が怖い。


………………

 


思いついたことはメモに残しています。
最近職場環境に怯えていてなかなか思うように働けない。


終電で帰ることもしばしばだし、そうなると休みの日はほとんど昼まで眠ってしまうんだ。

 


関係ないけど
既製品の面白さとか、最近自分には必要なくなってきたのかなと思う。


エンターテイメントとかテレビバラエティとか
それからスマートフォンも無駄にだらだらと触って情報垂れ流し状態。


見終わった後に何してたんだろうって思ったり、
もう本当に魅力あるコンテンツなんてこの世にはほとんど存在しないのかもしれない。


現実でさえフィクションのように思えるのにテレビやネットの世界なんて虚構でしかなくて、
さらにたちの悪い人間が晒し者にされるからそんなのバラエティでも笑いでも何でもないよって


現実に生きてることがもはや現実感がない
毎日同じ駅で同じ電車に乗っているような毎日に指先がドラマを作るなんてことは無い。

 


今年の5か6月くらいから人生を考えようと、先のこととかではなく今の人生をとりあえず考えようとしてきた。


大事なものは今の時点では分からない。


ただ、昔から大事にしてきたものだけはこれから先も好きだと言える自信があるし
きっと折にふれて私を励ましてくれるはずだ。

 


定期的に夢の中に憧れの人が出てきて
私は心底その人を信仰しているらしい。


執着であったり情熱は隠していてもいつかまた燃えあがる。


そうやっていつまでも消えることは無いと思う。

 

 


やっぱり来年はここでは無いところで暮らしていたい。
今の環境を一度捨ててみたい、と思う。
そこから何が見えるかはわからないが、きっとどんな風になったとしても生きていけるしやり直せると思っている。

 

 

 


……
3わい