8月23日

うーん

夏の終わりを感じている。
早かったなぁ…。


日差しだけは一丁前に夏だったな。
体感としては特に夏らしいこともしてないし、あ、でも家の庭からすこし花火が見えたりしたっけ。


行く夏を惜しむのはこの先何回もあることなのだろうか。


日常が慌ただしくて、落ち着いて色々なことを考えるのを止めているからかぼーっと知らないうちに夏が終わろうとしている。


田舎の匂いが好きだ。

 

 

 


上海に5日間遊びに行ってきた。憧れは林京子が書いた「上海」。
本が書かれた時代とはだいぶ時が経ってしまって、随分と近代化していたようにも思うけど


何年たっても国民の性質とかシステムの発展が後回しになっているところとか、そう変わってないところ多いんじゃないかな。


でも電車に乗っている人の中で貧しそうな人を見かけることはほぼ無かった。


上海の下町はそれなりにいろんな生活があるんだろうと思ったけれど
都市はやっぱり豊かなんだろう。


ディズニーランドも莫大な資本がかけられていて、夢を見せてくれる一方で夢を建前に作られた架空の世界だった。


お金をかければ幾らでも楽しめる。
でも、それだけではない楽しみを、どうにかこうにか見つけたい。

 

 


すこし暗い話になるけど


この間、庭に遊びにきている猫のうちの一匹の猫とその子どもが死んだ。


野良猫だからあんまり干渉はしないようにしていて
でも、たまに餌をやったりしていたからわたしにも罪はあるのか。


あぁ、命ってなんて儚いものなんだろうと思った。


子猫は何日生きられただろうか、親猫は日に日に痩せこけていってたなぁ。


哀しくて、だけれどこういう時わたしは涙が出ないので
やっぱり死ぬということをまだ実感を持って知らないのだろう。


父方のおじいちゃんが死んだ時も涙が出なかったなぁ。だってそこにはもういないのだもの。
亡骸にないてすがったってもう二度と会えないんだよなぁ。


時間が経つにつれて、死ぬということは会いたくても、もう二度と会う事ができないことだと気がつく。


命への責任ってとても重い。私はそのことに本当の意味で、いつまで経っても気がつく事ができない。

 

 


雨が降っている。夕立とかではないのだろうか。
遠い街のことを考えて、恋い焦がれている。


きっと恋愛なんて私には向いてないし、一人で生きていくほどの勇気もない。
都合良く好きなように人に頼ってしまうんだろう。雨の日はすこしセンチになるな。
こういう時くるりとか聞けばいいのかな。


私は考えなくてはいけないことを考えることを後回しにしている気がするよ。

 

 


今日はおっさんずラブの舞台挨拶ライビュと映画を観てきました。
普通にエンドロールで泣きました…………うぁあ切ないなぁ、、人を好きになるということはずっと切ない気持ちを持ち併せてなくてはいけないのだろうか。あぁ…2人がこれからも幸せに、一緒にいられますように。

 


3わい